卓球を投げ出した私を救ったのは、「勝たなくていい卓球」でした「一生懸命働いているのに、なぜか心が晴れない」
「昔みたいに夢中になれるものが見つからない…」
今、あなたが立ち止まったり、仕事のストレスで身も心もボロボロになっているなら、それはかつて強豪校で全てを捧げた私と同じ状態かもしれません。
私は、卓球の強豪校で3年間をやり遂げました。しかし、「勝たなければいけない」という凄まじいプレッシャーは、私から卓球の楽しさを奪い去り、卒業後、「もう二度とラケットは握りたくない」と誓うほど卓球を嫌いになっていました。
それから5年。社会人になり、職場での過酷な労働環境と人間関係のストレスで、心が限界を迎えたとき、私を救ってくれたのは、あの「卓球」でした。
強豪校のトラウマ「好き」が「苦痛」に変わるとき
高校時代の卓球は、私の全てでした。朝から晩まで練習し、休みは週に一度。しかし、それは「好きだからやる」という純粋な気持ちではなく、「義務」と「プレッシャー」でした。
勝てない苦しさ、期待に応えられない焦燥感、そして「辞めたら負け」という強迫観念。引退したとき、解放感とともに残ったのは、卓球に対する深いトラウマだけでした。
「卓球なんてダサい」とバカにした頃を忘れ、青春を賭けた卓球を、私は自ら投げ捨てたのです。
心の支えをくれた「再会」と上司の冷たい一言
心が折れそうになっていたとき、昔の卓球仲間から「久しぶりにやらない?」と誘われました。正直、気が進みませんでした。でも、体育館に足を踏み入れ、久しぶりにボールを打った瞬間…
「あれ? 楽しい…」
勝敗や名門校の看板なんて関係ない。ただ純粋に、ボールを追い、汗を流す時間が、仕事で凝り固まった私の心を溶かしていきました。卓球が、再び私の心の支えになっていったのです。
その楽しさから、もっと練習時間が欲しいと上司に退職の意向を伝えると、返ってきたのは冷たい一言。
「卓球で飯が食えるのか? もっと現実的に考えたほうがいいんじゃない?」
現実を見ろ、という言葉の通りかもしれません。でも、あの頃の私にとって、卓球は「飯を食うための道具」ではなく、「心を生き返らせるための処方箋」でした。
社会人卓球の魔法「勝たなくてもいい」という自由
あんなに嫌いになった卓球が、なぜ社会人になってこんなに楽しいのか?
それは、「勝たなくていい」というプレッシャーからの完全な解放と、「純粋に楽しむ」仲間が増えたからです。
プレッシャーからの解放
高校時代のような「勝たなければ存在価値がない」という重圧がないため、ミスを恐れず、新しい技に挑戦できる。
仲間との出会い
年齢や経験、職業に関係なく、「卓球が好き」という一点で繋がれる仲間が増える。地域にすぐに馴染め、心が満たされる。
学生時代に卓球を辞めてしまったあなたへ
もし、かつて私のように、プレッシャーや厳しさに耐えかねて大好きなスポーツを辞めてしまった人がいたら、ぜひ伝えたいことがあります。
あなたの心の中に残っている「あの時、夢中になった自分」は、決して苦痛の記憶だけではありません。
社会人卓球は、もう一つの「心の居場所」です。
もう一度、勝敗ではなく、楽しむためにラケットを握ってみませんか? あの頃のトラウマから解放され、純粋な楽しさが、きっと今のあなたの心を救ってくれるはずです。
あなたの心が、今日も優しさに包まれますように


